| その他 |
| 世界で一番美しいミイラ |
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| イタリア・シチリア島のパレルモにあるカプチン修道会の地下墓地には、8000体ほどのミイラが安置されています。保存されているミイラの中で、『ロザリア・ロンバルト』のミイラは、世界で一番美しいミイラと言われています。 1920年、肺炎のため2歳で亡くなった彼女の顔は、80年たった今でも、つややかなピンク色で、まるで寝ているかのような表情で生前の姿をとどめています。この墓地に収められているミイラのほとんどは、保存状態も悪く白骨化しています。その中で、ロザリアのミイラだけが生前とほぼ変わらぬ状態を保つのは、『死蝋』という状態になっているからだと言われています。死蝋とは、外気と長期間、遮断された結果、腐敗を免れ、遺体体全体が蝋状・チーズ状になったものだそうです。長い間、ロザリアの遺体がどのような方法で防腐処理されたのか、これまで謎のままでしたが、最近、製作者アルフレッド・サラフィアのメモが発見され、ホルマリン、亜鉛塩、アルコール、サリチル酸、グリセリンなどの薬剤を使ってミイラを作ったと解明されたようです。 (参照)ドウガノのHP こちら |
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| 海中にある郵便ポスト |
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とても暑い日が続いていますね。今回は涼しいお話です。海の中に実際に、投函できる郵便ポストが存在すること知っていましたか? 場所は、和歌山県すさみ町の枯木灘海岸。岸から100m、海底10mにあります。この海底ポストは、1999年4月、南紀熊野体験博のイベントとして、すさみ郵便局長の発案によって設置されたものです。2002年には、『世界一深いところにあるポスト』としてギネスブックに認定されています。 現在も実際に利用され、1日平均10通、夏休みなどは50通も投函があるようです。投函数は3万通を超えたとか。すさみ町はダイビングスポットとしても有名で、海中にポストがあるので、ダイバーが記念に投函するそうです。毎日、地元のダイバーが郵便物を回収し、すさみ郵便局をとうして世界中に発送されます。普通のハガキは当然投函出来ませんので、耐水ハガキが販売されています。耐水ハガキは近くで購入でき、文字もにじまずきれいな状態で届くようですよ。 (参照)紀伊民報のHP こちら 南紀・熊野お宝めぐりのHP こちら |
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| ドルマークの縦棒2本の意味 |
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ジブラルタル海峡は地中海と大西洋の境にあります。ヨーロッパ側のジブラルタルの岩山と、北アフリカ側のセウタの町の岩山は『ヘラクレスの柱』と呼ばれています。ギリシア神話に登場する英雄ヘラクレスが、アトラス山を砕いて、海の通り道を作ったという伝説から名付けられたものです。かつて、この場所は世界の西の果てとされ、ここを超えれば海は奈落の底に落ち込んでいると考えられていました。柱には「Non Plus Ultra(ノン・プルス・ウルトラ) この先には何もない!」と刻まれ、外洋の危険性を警告したものです。 この柱は、スペインの紋章にも使われていますが、1492年コロンブスによる新大陸の発見後、 古代の警告を無視し、リスクをとって更に前進することを奨励し、Plus Ultra (プラス・アルトラ) もっと向こうへ!」と変えられました。へラクレスの柱を異なる地域に通じるゲート、入口として新世界への道を切り開こうという強烈な意志から生まれた言葉です。 ちなみに、ドルマークは、Sに縦棒2本であらわされていますが、縦棒2本は、このヘラクレスの柱を意味しているそうです。 (参照)アフリカ案内のHP こちら 地中海生活のHP こちら 株式会社さらごのHP こちら |
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| シェフ帽子のルーツ |
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フランス料理のコックさんといえば、白い背の高い帽子を被っています。帽子の高さは、店によって違いますが、一般的に経験年数・地位が高くなるほど背が高くなるようです。 この帽子のルーツは、19C、バリのホテル・リッツで活躍し、フランス料理の神様と言われた『オーギュスト・エスコフィエ』に由来します。彼の身長は158cmしかなく、部下たちは料理長の指示を仰ごうとしてもすぐに見つけることができませんでした。居場所を明確にするために背の高い帽子で目立つ工夫をしたのが始まりです。その後、フランス中のシェフたちの間に流行し定着しました。日本にシェフ帽子を伝えたのは、帝国ホテル8代料理長、石渡文治郎です。彼はホテル・リッツに留学時、エスコフィエに直接学び、日本に持ち帰りました。ちなみに、帝国ホテルでは、見習い18cm、7年目以降23cm、料理長は35cmの高さに決められているそうです。 シェフ帽子の由来は、もう一つあります。18C末、『アントン・カーレム』という高名なシェフがいました。白く高い帽子をかぶったお客に一目惚れして、職場にとりいれたという説もあります。 (参照) 社団法人日本エスコフィエ協会のHP こちら こちら リッツ・エスコフィエのHP こちら forMのHP こちら |
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| 龍馬像の建立 |
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坂本龍馬像は高知県の桂浜に建っています。高さが約5m、台座と合わせると13mほどの巨大な像です。台座に掘られている建設者の名前は、『高知縣青年』。龍馬像の建立には、こんなエピソードがあります。 龍馬像の建立は大正15年に1人の青年の運動から始まりました。当時、早稲田大学の学生だった入交好保さん。坂本龍馬に心酔しその功績を後世に伝えるため『坂本龍馬先生銅像建設会』を仲間3人で結成。新聞、夏休みを利用して募金活動、坂東妻三郎さんに映画企画を提案(後、実現)。さらに、龍馬や中岡慎太郎と交友のあった伯爵の田中光顕さんの協力を得て、秩父宮殿下から200円の御下賜金など幅広く活動し、目標募金額25000円(現在の7000〜8000万円)を集め龍馬像を建立しました。除幕式は昭和3年5月27日、日本海軍の軍艦の祝砲、内閣総理大臣も参列し盛大に行われました。無名の学生達が起こした活動は、一介の浪人にすぎない龍馬ガ国事に奔走した姿とよく似ています。なお、第二時世界大戦時、国の判断で龍馬像だけは供出を免れています。 (参考)高知新聞のHP こちら こちら |
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| 料理店の”盛り塩”の意味 |
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料理店の店先に”盛り塩”が盛られているのをよく見かけます。これは、中国の故事に由来するもので、お客さんがたくさんきてくれるようにという「おまじない」です。昔の中国の皇帝は3000人ほどの側室を囲って、それぞれに大きな屋敷を与えていました。皇帝は夜ごと、牛車に乗ってそれらの側室の屋敷を訪ねていました。皇帝が順番に廻ったとしても、自分の番がくるにはかなりの日数がかかります。そこで、ある側室が一計を案じ、自宅の門前に塩を盛るようになりました。牛は塩が大好物なので盛り塩がある門前で、ピタリととまり動かなかったようです。皇帝は仕方なく、そのお宅に立ち寄ったようです。この故事から、来てほしい人を招き寄せるおまじないとして玄関に塩を盛るようになったわけです。 |
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| 聖徳太子とお箸 |
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| 日本に箸が入ってきたのは、弥生時代の末期(3世紀)です。その当時の箸は現在のような2本1組の箸ではなく、1本の竹をピンセットのように折り曲げた折箸が使われていました。この箸は、食事で使うものではなく、神様に食物を供える祭器として使われていたものです。今も天皇の大嘗祭にはこの折箸が使われています。当時の人々はまだ食事を手づかみで食べていました。 現在のような2本1組の箸が食事に使われるようになったのは、7世紀はじめです。初めてお箸を食事に使わせたのは、聖徳太子です。607年、聖徳太子は小野妹子らを遣隋使として隋の国に送りました。この時、小野妹子らはお箸を使った食事の作法により歓迎を受けました。 帰国後、この報告を受けた聖徳太子は、さっそく朝廷の宴に箸食を採用したと言われています。以後、大きな寺院は次々と箸食を取り入れたそうです。 奈良時代には箸食文化が普及し、平城京の後から沢山の箸が見つかっています。平安時代には当時の庶民文化を伝える絵巻にも箸が描かれ、貴族のみではなく庶民の間にも箸食が浸透していたことがわかります。 |
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| 心臓の湯 |
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炭酸泉が『健康によい』と話題になっています。炭酸泉とは、その名の通り炭酸を含んだ温泉のことです。炭酸泉に入浴すると炭酸ガスの気泡が無数に肌に付着し、まるでサイダーの中に入っているように感じられます。 炭酸ガスは気体状態では皮膚から吸収されることはほとんどありませんが、お湯に溶けた炭酸ガスは皮膚から吸収される性質があります。炭酸ガスが皮膚から吸収されると、体は『酸素不足!』と錯覚し、体中に酸素を運ぼうとして血管が拡張し血行がよくなるそうです。血液の流れがスムーズになると、十分な栄養と酸素を含んだ新鮮な血液が体の隅々まで運ばれ、イキイキとした艶やかな肌になると同時に、体に溜まっている老廃物を排出しやすくなり、お肌をより美しくします。また、炭酸泉は肌のphに近い弱酸性ですので、素肌にやさしく、アストリゼン効果で肌を滑らかにする効果もあります。 こんなにいいことずくめの炭酸泉ですが、実は、天然の炭酸泉は世界的にも希少で、日本には全国に15ヶ所しかありません。中でも、大分県の長湯温泉が有名です。 ヨーロッパでは、天然の炭酸泉が多く湧き出しており、古くから『心臓の湯』と呼ばれ、古くから健康維持、病気治療などで利用されてきました。特にドイツでは、温泉治療を目的に世界中から多くの人々が訪れるそうです。その効果に健康保険が適用されるほどです。 日本でも少しずつ炭酸泉の効能が認識されるようになり、人工の炭酸泉が温泉施設、美容施設、介護施設、医療施設、家庭風呂などでも利用出来るようになりました。 (参照)口炭酸泉研究会のHP こちら 炭酸泉ナビのHP こちら 長湯温泉.COMのHP こちら 長湯温泉 ラムネ温泉のHP こちら |
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| 閏年はどうして2月なのか |
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2月だけどうして28日なのか?なぜ、他の月に比べて極端に少ないのか疑問にもたれたことありませんか? 現在使っている暦の元になった古代ローマの暦は、3月から始まり12月で終わるる10ヶ月間だけでした。農作業にたずさわらない冬の期間の暦はいらないと考えられ名前もありませんでした。その後、冬の月にも名前が付きましたが1年の始まりは3月のままでした。 紀元前46年、ローマ皇帝のジュリアス・シーザーが1年を365日(閏年を366日)とする暦を採用しました。奇数月が31日、偶数月が30日とする規則正しいものです。1月が年の初めになりましたが、3月から始まっていたころの慣習が残り、1年の最後の月である2月で閏年の調整をしました。平年が29日、閏年が30日としたのです。また、シーザーは7月を、自分の名前にちなんでJulyに変更しました。 その後、皇帝アウグストゥスは自分の名前をつけた8月(August)が30日であることが不満でした。そこで、8月の日数を1日増やし31日とし、9月を30日、10月を31日、11月を30日のように交互になるように入れかえました。1日増やした分は、また、2月から1日分を減らしました。この時から、2月は平年は28日、閏年を29日になったのです。 |
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| 割り箸の起源 |
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